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2017年10月31日

「例えば、自分の子供に勉強を教える難しさ」について

こんにちは、伊藤です。

私も、大学時代には家庭教師をしていた経験もあり、

長男の受験の際は、一時期勉強を教えていました。

ですが、「どうして分からないの?」「だってこうでしょう!」

所謂、力ワザで詰め込むような内容になりがちで自分でも嫌になるような内容でした。きっと、長男も勉強が嫌いになったでしょう・・・。

(次男は、そういう経験から、さっさと学習塾にお任せしました。)

何とも教えるのが下手な事・・・。

教えるのが下手なのですぐ怒ってしまいます。

自分の指導のスキルが低いせいなのに、相手のせいにするという最悪なコーチの典型です。しかし、当然といえば当然です。

自分では出来るけれど、教えた経験も少なく、教え方の知識もないわけですから。

子供の塾やスイミングの先生の教え方を見たりすると、問題解決のアプローチが上手な事に関心します。いうなれば、ためいきがでるように美しい指導の流れ。

レッツでの子供たちのレッスン中も、「もっと振り上げて!」のような類のゼスチャーを織り交ぜられる保護者の方もたまにいらっしゃいます・・。

何かを指導する際は、ある程度ゴールのカタチをはっきりイメージして、まず大枠を固めながら、バランスを見て、楽しさを見出しながら、指導をする必要があります。

ですから、部分的に分かる事があっても、その順序ではなかったり、それを強調しすぎると弊害になる場合もあります。

もちろん、どんな事柄でもそうですが、教える対象者の方を理解し、指導者の方が熱心に研究、努力をしながらより素晴らしい指導を目指すのは当然ですが、それを自分が多少できるからといって、むやみに教えるのは、もしかしたらマイナスだったり、かなり可能性を制限してしまう恐れがある事を自覚された方が良い場合があるという事です。

「できる」ということ「教える」という事は別の技術が必要だというお話でした。

ご一読有難うございます。